“日常的思考だと、「俺は感じなかった」と言う。だけどそうではなくて、よっぽど精通している人がそこに行って感じればそれでいいわけですよ。音楽を聴いて感動する人と感動しない人がいるのとまったく同じことで。だからブロンテ姉妹のことを何も知らない人間がその家に行って何も感じなくたって全然関係なくて、ブロンテ姉妹のことをよく知っている人がブロンテ姉妹の家に池場、やっぱりそこにエミリー・ブロンテの姿とか、運動の軌跡みたいなものがきっと出てくるに違いないと思うわけ。で、最もそういうことをさせやすい空間が、やっぱり家なんですよね。”

保坂和志「リアリティのありか」『建築と日常』No.1、P. 67

『建築と日常』(編集・発行: 長島明夫)


“この時期にぴったりしているのは
「手に職を付ける」ことだったり、
「仕事のやり方を自分なりに作り上げる」ことだったり、
「武器になる仕事の経験を積む」ことだったり、
「自分の、収入に結びつけられる適性を知り、
それを鍛える」ことだったりすると思うのです。
外的な要因で消えてしまうかもしれないものよりも
自分の「中」にあって、滅多なことでは失われない「力」が、
貴方の経済的な流路としてこの時期、
徐々に形になっていくのではないかという気がするのです。”

2013年 てんびん座の空模様。(石井ゆかり)





桃とモッツアレラのサラダ


“『小津安二郎日記ーー無常とたわむれた巨匠』(都築政昭著、講談社)からの孫引きになってしまうけれど、【中略】「いかに現実を追求しても、私は糞は臭いといっただけのリアリズムは好まない。私の表現したい人間は常に太陽に向かって少しずつでも明るさに近づいている人間だ」”

中野翠『小津ごのみ』PP. 208-09


“「感情過多は、ドラマの説明にはなるが、表現にはならない。ぼくの作品は見ていてことさら大きな盛り上がり、ドラマの迫力はないかもしれない。でも、それでいいのだ。徒らに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格をつくり上げることだと思う」(『小津安二郎 新発見』による)。”

中野翠『小津ごのみ』P. 243


“「何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく貴い」(『小津安二郎•人と仕事』)”

中野翠『小津ごのみ』P. 219


“「ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従がう。重大なことは道徳に従がう。芸術のことは自分に従がう」”

中野翠『小津ごのみ』PP. 234-35


“「やっぱりモーツァルトはすばらしい」みたいなわかったようなことは、 本当にクラシックをわかってる人なら言わないんじゃないかな。「モーツァルトは 聞くたびに新しく、その都度、別の表情が感じられる」とか、違った言い方になるはずで。”

考える練習〈保坂和志〉



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